カラムのコラム (Columns for Columns)

2023-07-28
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順相,逆相とHILIC

 

文頭から過激で恐縮ですが,「HILIC(通称:ヒリック)」という分離モードは私には認められません。

HILICという言葉を使う人は「順相」「逆相」をどれくらい理解しているでしょうか。順相・逆相の意味を理解することなくHILICを使うことは,HPLCの歴史を理解していないことと同じだと思います。もちろん歴史など知らなくてもHPLCを使うことはできますが,分離に困ったとき解決策を見出すことにきっと苦労するはずです。

まずHILICの歴史から。
HILICとは「Hydrophilic Interaction Liquid Chromatography (親水性相互作用クロマトグラフィー) 」の略で,1990年に米国のAndrew J. Alpertが以下の論文で提唱しました。

[HILIC論文]
Hydrophilic-interaction chromatography for the separation of peptides, nucleic acids and other polar compounds

Andrew J. Alpert
Journal of Chromatography A, Volume 499, 19 January 1990, Pages 177-196

この論文を読まずに「HILIC」を多用する業界人がたくさんいるのではないでしょうか。「HILIC」という「新しい言葉」を積極的に使うほうが製品が売りやすい,という安直さが優先し,後から理由付けがされているように思えます。

Alpertは論文中の序文(INTRODUCCTION)の中で,「HIC (Hydrophobic Interaction Chromatography) という先行する言葉があるのでHILICという略称にしたい」と述べています。実験的には「Reversed-Phase Chromatography (RPC)による溶出順とは反対の傾向であった」と言いながら,反対語としてHICを持ち出しています。RPC(逆相)の反対ならNPC (Normal-Phase Chromatography) つまり「順相」といえば良いだけです。HICの対義語としてHILICと言ったことで定義の混乱を招きました。「移動相に水を含むから順相とは違うんだ」と言いたかったようですが,HICにとっても水は極めて重要であり,HILICという言葉の対極にはならないのです。

Alpertは一方で「HILICは順相の変形である」とも述べています。彼自身がHILICは順相に属すると言っているわけです。問題となるのは,この論文にぶら下がろうとした後年の人たちです。

Alpertの論文発表が1990年であったにもかかわらず,HILICという言葉が流行し始めたのは10数年経ってからです。スウェーデン発のHILICと称としたカラムが発売されてからと思います。ポリマー系で有機溶媒を多量に使うことはカラムとしてはあまり芳しくなかったのでしょう,そのブランドは後年ドイツ企業に身売りしました。

大手企業が装置がらみでPRする材料としてHILICは好都合なようで,最初に「逆逆相」と言い出したときには驚きましたが,現在その言葉は消滅しHILICに変わっています。

我国の学会でも,とある高名な大学の先生がHILICカラムに関する口頭発表をされた際に私が「何故HILICカラム比較にアミノカラムが含まれていないのか?」と質問したとき感じた会場の冷たい視線は今でも憶えています。
その後業界でアミノカラムはHILICモードに堂々と加わりました。

何故当初からアミノカラムがHILICに含まれていなかったのか? 発表者の後ろめたさ(?)とともにここにも歴史があります。

アミノカラムはHILICよりもずっと前の1970年代から糖質分離カラムとして存在していました。そしてこの分離モードは「順相」でした。ところが移動相がアセトニトリルと水であったために「順相」という理解ができない人たちが業界にもいて,「アミノカラムは逆相」というカラムメーカーがあったほどです。「アセトニトリルと水」を使うカラムだからです。今でも「アセトニトリルと水」を「逆相系溶媒」という人がいますが,大きな間違いです。

順相・逆相の定義には溶媒種は無関係です。念のため以下に定義をご案内します。

順相・逆相の定義

Alpert以降の人たちの解釈にも問題があります。「HILICは順相とは違う」と言い出したのです。極めつきは「非水系が順相で水系がHILIC」という定義まで飛び出したことです。

分子間相互作用として,「HILICは水素結合が作用している」という文言も見かけますが,化学結合がわかっていない人でしょう。「水素結合」の典型はDNAの二重鎖であり,これには核酸塩基に含まれるプロトンのドナーとアクセプターに「静的な直線関係が不可欠」なのです。動的なHPLCにおいて溶質と固定相に直線的相互作用が生じるのはほんの一瞬であり,特殊な「水素結合」という用語を持ち出さなくても「静電的相互作用」ですむ話です。静電的相互作用は「順相」の本質的な相互作用ですから,HILICは順相なのです。

順相はクロマトグラフィー創始者といわれるTwettから始まりました。今のシリカカラムがその典型で,トコフェロールの非水系分離に有効ですが,少量のリン酸水溶液を含む移動相でリン脂質を分析する手法は何十年も前からあり,これも順相です。シリカだって昔から水を使っていました。

今話題となっている ChatGPT は,世界中のネット情報をかき集めた結果をこう語っています。

「HILICは,極性が高い化合物ほど水和シェルを形成する能力が高く,固定相との相互作用が強くなり,カラム内での移動が遅くなります。」

ついに「水和シェル」まで登場しました。たしかに焼酎やウィスキーはエタノールと水による水和シェルの大きさでまろやかさが異なります。でも水和シェルというのは溶質に水酸基などの極性基があるから形成されるわけで,水和シェルを持ち出さなくても溶質の極性は充分に高いのです。逆に水和シェルが形成されるか否かで分離モードが決定されることになると,順相・逆相の定義は無意味になってしまいます。

溶質の水和シェル構造は水系移動相の逆相でも生じます。そしてHILICに水が重要なら,「究極のHILICは逆相である」というパラドックスが生じます。
水は特殊な溶媒であり,順相でも逆相でも疎水クロマト(HIC)でも重要なのです。

本稿は何年もあたためてきたものです。今までの私では「じゃあおまえにはHILICに対抗するようなカラムはあるのか?」という問いに応えられなかったからです。

しかし最近ようやくその答えを見出しました。
先週 Nardis ND-NX という「順相+両イオン交換」カラムを発売しました。

Nardis ND-NX

世間で言うところのHILICカラムかもしれませんが,私はこれを順相カラムと呼びます。

このカラム開発を通じて,物質分離はもっと複雑であるということが理解できたように思います。このコロナ禍の三年は,私にとってはいろいろな意味でかけがえのない時間となりました。

     
   矢澤  到 / YAZAWA Itaru   ( インタクト / IMTAKT )