カラムのコラム (Columns for Columns)

 

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クロマト用語・誤変換

2005/10/28

 


2005年10月1日の報道によると,約20年前から発売されてきた国産日本語ワードプロセッサ(以下ワープロ)ソフトの最新バージョンに関し,ヘルプアイコンもしくはボタンの表示に関する特許権侵害訴訟の控訴審で,知的財産高裁は一審の判決(ワープロの製造・販売差し止め)を覆し,家電メーカーの請求を棄却しました。
画面表示とその機能に関する事案であり,ワープロの本質とは思えない部分での係争に筆者は驚き,一審から注目してきました。そして知財高裁の「当該発明は周知の技術に基づくもので進歩性に欠き,特許は本来無効であるべき」とする特許の無効性に言及する控訴審判決は予想外で,さらに驚きました。発明の進歩性を判断することは,とても難しいものだと思いました。

ワープロといえば,筆者が20年前に勤務していた会社では,申請関係に必要な書類作成にワープロが使われていました。ワープロといっても数百万円もする専用ワープロ装置が,「ワープロ室」と呼ばれる空調の効いた部屋に置かれ,予約制により共用されていた時代のことです。当時PCワープロはありましたが,ハードディスクが高価で,フロッピーディスクドライブだけのシステムが標準でした。3フロッピードライブに「システムディスク」「辞書ディスク」「文書ディスク」を入れ,変換キーを押すたびに「ガチャガチャ」とやるわけですから,とても文書を作成する気になれず,高価な専用ワープロには予約が殺到していました。今のPC性能を思うと隔世の感があります。

ところで日本語ワープロには日本語変換システムが不可欠ですが,HPLC関係のドキュメントに接していてたいへん気になる表記に出会うことがあります。

「移動層」という表記を見かけます。これはクロマトグラファーであればおわかりでしょうが,「移動相」の誤用です。この「移動層」という表記は,おそらく日本語変換システムの誤変換をそのまま使用したものと想像されます。筆者の変換システムでも「いどうそう」と入力し,一括変換すれば「移動層」になります。そして次候補の中には「移動相」はありません。いわゆる専門用語だからです。医学用語辞書などの専門用語辞書は見かけますが,さすがにHPLC用語辞書というのはなさそうです。したがって,単語登録や学習機能を活用しないと,いろいろな誤変換が繰り返されてしまいます。

試しにいくつかのPCで,インストールしたての初期OSに付属している学習前の日本語変換システムを用いて熟語変換すると,以下のように微笑ましい表記に出会うことができます。

「移動草」・・・正しくは「移動相」

「いどうそう」で変換するとシステムによっては「移動層」以外にも登場します。
草のように生えたODSの間を移動する,分子レベルの表現かもしれません。

「古層抽出」・・・正しくは「固相抽出」

古生代の地層から化石を掘り出しているようなロマンチックな気分になります。

「要理液」・・・正しくは「溶離液」

溶離液組成の設計は大変難しいので,「理にかなった溶液を作りなさい」という啓示でしょうか。

「用利益」・・・正しくは「溶離液」

「細くて短い高性能カラムを用いて省溶媒によりコストダウンし,利益を上げなさい」という最近のHPLCの方向性を示しています。

「理論団」・・・正しくは「理論段」

理論段は theoretical plate の訳で,段とはプレートともいわれ,この数の多さがピークのシャープさを表しています。プレートが集団になっていることを連想させる表記と思います。

「保持費」・・・正しくは「保持比」

溶質がカラム内に保持されるほど保持時間と移動相溶媒が必要であり,結果としてお金がかかります。短時間分析によりランニングコストを削減しなさい,ということでしょうか。

「重点財」・・・正しくは「充てん剤」,「充填剤」

分離に関しては充てん剤の性能がとても重要です。
カラムユーザーには・・・「充てんカラムを重点的に検討し,クロマトで成果を挙げ,良い仕事で財をなしなさい」。
カラムメーカーには・・・「充てん剤は飯の種。重点的に開発し,良いカラムを提供して財をなしなさい」。

「多幸質」・・・正しくは「多孔質」

多孔質シリカは重要なクロマト材料であり,メーカーもユーザーも,これにより多くの幸せが生まれます。

「流露」・・・正しくは「流路」

確かに流路末端からは「露」が出てきます。LC-MSでは「露」というよりも「霧」ですが。

「分主クロマトグラフィー」・・・正しくは「分取クロマトグラフィー」

分取作業においては画分の純度が重要です。分離が主体のクロマトグラフィーということを言いたいのでしょう。

「賛成化合物」・・・正しくは「酸性化合物」

あなたの分離対象化合物はきっと役に立つものでしょう。商品化に賛成します。

「灰異性化合物」・・・・正しくは「配位性化合物」

配位性化合物はカラムにとって難しい化合物です。「灰」は肥料にもなるくらい多くの金属を含みます。この金属が結合関係することにより,他の相互作用には見られない「異質」なピーク形状を与えます。

「汗とにトリル」・・・正しくは「アセトニトリル」

分離条件の検討には時間がかかります。特にアセトニトリル濃度は重要です。たくさん「汗」を流した人はきっと良い成果に恵まれることでしょう。

[オマケ]
「きゅうだっ着」・・・「吸脱着」だっちゅうの。古いか・・・

さすがにインストールしたばかりの辞書でLC関係の文章を作成するには骨が折れます。
一つひとつ文字単位で変換すれば,徐々に学習してくれますから,今の変換システムはとても賢くなりましたが,学習機能を持たない時代にはほんとうに腹の立つ思いでした。
しかし逆に学習機能の恐ろしさで,「移動層」などの誤変換に気がつかないと,いつの間にか自分にとっての標準語になってしまう落とし穴が,今の日本語変換システムにはあります。変換ミスを避けるためにも,HPLC用語は注意深く取り扱うことが望まれます。

とかく専門用語とは使い方が難しいものです。
そういえば,正しく変換されたとしても,「移動相(mobile phase)」と「溶離液(eluent)」の使い分け・・・・悩ましいものがあります。

(矢澤  到)